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北脇 琢也さん  108期


 

北脇 琢也

在学中の部活~体操部(1年生まで)

現在:JDSFダンススポーツ連盟山口県連部長、キャリア教育研究会「夢授業の事務局」、NPO法人日本ブレイクダンス青少年育成協会山口県支部長、公認ブレイキン指導者

 

豊浦高校を選んだ理由

 

 正直、豊浦高校が一番かっこいい学校だと思ったからです。当時、私は教師になりたいという夢も持っていたため、文武両道の豊浦高校で学びたいと思い豊浦高校を選びました。


豊浦高校での3年間を振り返って

 

 入学してすぐの野球応援で暑い中制服が汗だくになりながらもやったのを思い出します。その時に精神的にも根性がつきました。部活は1年間だけ体操部に入部して、柔軟性や体幹を鍛えることができました。ここでの1年間の経験は今のブレイクダンスにも活きていると感じています。豊高祭では、友達とバンドを組んでライブをしました。担当はドラムで。豊浦高校での生活は、様々なことが経験でき今の自分を形成するために大切な時間だったと思っています。


豊浦高校卒業後のあゆみ


〜卒業後~

 ダンスの修行のため大阪と神奈川に行きました。都会には、日本のトップレベルの人が駅で踊っているためそこに体一つで突撃して「教えてください」と直談判していました。普通は、ダンス教室に入会するのですが、お金もなかった私は練習場に無理やり乱入していました(笑)今活躍できているのはこの時の経験が一番大きかったのではないかと思います。24歳までブレイクダンスの大会に出てはいましたが結果は出ませんでした。厳しい世界なんだと痛感しました。


 〜下関市に帰ってから~(24歳から)

 24歳の時に家業の内装屋の手伝いをするために下関市に帰省。この頃から、自分の都会のトップレベルの人から学んだブレイクダンスの知識や技術を下関市に還元していきたいという気持ちが強くなってきました。それから25歳の時に大会で優勝することもでき、27歳~30歳の時は福岡等の様々な大会で優勝することができました。その後はコロナの影響もあり、1~2年大会が開催されませんでした。


 〜現在~

 現役プレイヤーであり、ダンス指導、大会の企画と運営(レッドブルBC ONE JAPAN FINALを海峡メッセ下関で開催、yabふれあいフェスタでyabブレイキンCUP開催~テレビ出演、山口県体育大会ブレイクダンス競技会)、大会の審査員及びDJ(オリンピック強化選手の合宿でDJを担当したこともあり)もこなす。



在校生へのメッセージ

 

 「芸は身を助ける」という言葉があります。それはまさにその通りだと感じています。勉強も大事ですが、技術(私でいえばダンスや音楽活動)も大事。ただ勉強するのではなく好きなこともあきらめず、両立しながら日々の学校生活を過ごしてみてください。一生懸命取り組むことで自分の進むべき道が開けてきます。それぞれ得意、不得意があると思いますが輝かしいい未来に向かって、この豊浦高校で青春を謳歌してください。




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